おかねへの姿勢

どうして、“奪い合い”をしてしまうのだろう?

最近よく、ギャンブル依存の本を読みます。

自分の技量が比較的かかわる麻雀やスロットをしたがるひとは、ギャンブル依存になりやすいそうです。

勝つために自分の技量を高める努力、と言われるとなんか立派なことに聞こえますが。

みんな競い合う

コントロール願望

行動経済学の本によると、ヒトには状況をコントロールしたい、という根源的な欲求があるそうです。

すべて自分の思うがままになったらいい、とみんな望みます。

赤ちゃんが泣くことで、親を呼び寄せて欲求を解決してもらう感じです。

技量を競い合いたがる

コントロール願望を達成するために、自分の能力をあげようと努力していきます。

その努力の過程で、ヒトは他人と比較してしまうのです。

子ども同士がかけっこやケンカをし、親は他の子どもと成長過程を比較します。

みんな勝ちたい

他人の上に立ちたい

他人と比較しながら努力していると、マズローの欲求段階4段目の承認欲求に変化がおきてきます。

いつの間にか “他人に認められたい” という欲求から転じて、“他人の上に立ちたい” となってしまうのです。

他人と比較しながら、優位性を求めてしまいます。

出世争いをしたがり、権力争いをしたがるようになってしまいます。

おかねを手に入れたい

競い合って他人の上に立ちたがっていると、技量をあげ権力を得ていくことが富につながる、というカンチガイを起こします。

勉強して出世することができなかったから自分にはおかねがない、と思ったりもします。

ギャンブルするひとでも、しないひとでも

“奪い合う”

そのうえ、

  • おかねは有限
  • 他人のおかねが増えると自分のおかねは減る

と思うから、おかねの “奪い合い” をしてしまいます。

  • ギャンブル依存のひとも、競争したがり、奪い合う
  • ギャンブルをしないひとも、競争したがり、奪い合う

みんなおかねを得ようと “奪い合い” をしていくようになるのです。

ギャンブル依存のひとは、周囲にギャンブルするひとがいたからギャンブルをはじめ、本能のままに技量を高め、おかねを得ようとしました。

もし周囲に音楽や野球をするひとがいたら、音楽や野球をはじめ、本能のままに技量を高め、おかねを得ようとしただけのことなのです。

“ひとによろこんでもらう”

ギャンブル依存のひとも、ギャンブルしないひとも、おかねを手に入れるにはどうしたらいいか、をまじめに考えたことがありません。

ギャンブル依存のひとも、ふつうのひとも、ひとによろこんでもらうとおかねが手に入る、ことを知らず過ごしてしまいます。

おかね持ちとご縁がないので、気づけるはずがありません。


だからこそ気づいたときが、“ゆたかになる” スタートです。

“奪い合う” ことをやめて、“ひとによろこんでもらう” ように暮らしていきましょう。

まとめると

しぜんとヒトは、競い合い、他人の上に立ちたがり、おかねを奪い合います。

技量をあげてひとより上回る、ではなく、技量をあげてひとによろこんでもらう、

としていくとゆたかになっていきそうです。

ギャンブル依存は投資に向いている

ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。

年がら年中、パチンコ玉やお馬さんにおかねを “託し” つづけてきました。

“奪い合い” で “だれもよろこばない” ギャンブルをつづけたために、

いつもおかねに困るようになりました。

主戦場を、“ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。

“託し” 上手を利用して、世界中の企業におかねを “託し” ていきましょう。

しぜんとおかねが増えていきます。

託し先を換えれば “奪い合い” でなくなる、ギャンブル依存でよかった。

これからゆたかになっていきましょう。