高校の途中からパチンコをはじめ、大学生活はパチンコ中心にまわっていきました。
留年して転がり落ちていく、ずっと前のはなしです。
はじめはヒコーキ打ってました
当時は、平台・ヒコーキからはじめるのがまあふつうで、マジックカーペットと道路工事全盛の時代でした。
2回チャッカーが開くときに、玉が入らないとガックリです。
むかしは、1台おきにしか玉貸し器がありませんでした。
となりにお客さんがいると、おたがいゆずり合う感じでやりにくかったですねえ。
自分なりに釘をみる
当時は、みんな釘をみようとしていました。
ハカマ、命釘、天釘、自分なりにみるけどよくわかりません。
パチンコ雑誌に、
- 横の台とではなく、同じ台の前日とくらべる
と書いてあるのでやってみますが、
見よう見まねで、わかるわけがありません。
“あの台いいと思うよ” と常連おっさんにいわれた台を打ったりするので、このころは負けてばかりでした。
おっさんの名言
わたしがまだフィーバーも権利物も打ってないころ、もちろん競馬もまだはじめていないころ、そんな週末の出来事です。
スポーツ新聞片手にひとりのお兄さんがパチンコをしてましたが、15時すぎにやめていなくなりました。
そのとき、となりのおっさんがつぶやきます。
- 競馬しながらパチンコしているようでは、勝てるわけがない
そのおっさんが勝つのをほとんどみたことはありませんが、さらにつづきます。
- パチンコでは玉が出ていく以上に負けないけど、競馬では上限がない
- 手元にあるぶん5万でも10万でも一瞬にしてなくなるので、おかねに困るようになる
そして、そのあとに名言がでます。
- パチンコしとくのが、いちばんマチガイがない
どうみてもおかねに困ってるおっさんが、自信まんまんに言い切るのです。
そのとき同じくらいおかねに困っているわたしは、ナルホドと妙に納得したのでした。
なんとも情けない、あのころのパチンコ想い出ばなしを終わります。