ギャンブルをはじめたばかりは自分の予想を聞いてもらいたがり、的中したときなど相手が止めても話し続けます。

しかし、一定以上ギャンブルをやり込むと、みんな自分の予想を言わなくなります。

それは、コーチ屋と間違われたくないからです。

自己責任

ギャンブルにかぎらず、

  • 勝負事はすべて自己責任

イタイほどの痛みをくり返してきたひとたちにとっては、まあ当たり前です。

反対に、自己責任が理解できないヒトほど、他人のせいにしがちで、

そんなひとに自分の予想を伝えれば、

  • 予想がハズレると、恨まれる
  • 予想がアタルと、また聞かれる

しぜんと、真剣なひとたちからは無視されます。

自己責任どっぷりのギャンブル依存仲間内では、予想を聞かれることも言うこともなかったです。

結果がすべての世界では、おたがいが一定の距離感を保つイメージでしょうか。

コーチ屋

このようなギャンブル依存特有の性質とは別に、

  • コーチ屋と思われたくない

という事情も、ギャンブル依存界隈の予想を言いたがらない要因です。

コーチ屋とは、むかしからギャンブル会場に存在する怪しいひとの通称で、

まず、馬券売り場などで知らないひとへ親しげに近づき、雑談した後自分の予想をひとつ伝えてきます。

そして同じ要領で、レースがはじまる前、10人以上にそれぞれちがう予想を伝え続け、

予想が的中した相手へ、

  • “オレのおかげで当たった”

と迫って、ご祝儀をもらうのです。

当然、何レースかくり返すせばいつか予想は当たるわけで、

元手資金もリスクも必要ないまま、他人からおかねを奪うひとたちを “コーチ屋” と呼びます。

必然的に、ギャンブルをやるひとはみんな、

  • なれなれしく声をかけてくるひと
  • 自分の予想を言いたがるひと

を警戒し、自分の予想も言いたがらない状況に落ち着くのです。

まあ、ギャンブル依存にかぎらず、

  • 口に出してなんのトクもないなら、当然みんな黙る

マジメに打ち込むほどウンチクは言わなくなる、なんでもそんな気がします。

日常生活でも、

  • プロジェクトがうまくいくと、“自称オレがやった”
  • 活躍すると、“自称オレが指導した”
  • 有名になると、“自称親せき”

コーチ屋もどきはあちこちに潜んでおり、近づかないのが一番ですね。

今回は、ギャンブルどっぷりだったあのころのエピソードを、ムリやり一般化してみました。

情けない、恥ずかしい、でもなんだかなつかしい、ギャンブル依存時代の想い出はなしを終わります。

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