学生時代、ママチャリに乗ってました。
東京での研修時代もママチャリに乗ってました。
35才からは、ずっとおなじママチャリだったです。
35才で地元
35才のとき、すってんてんの状態で東京から戻って、実家に転がり込みました。
もちろん、サラリーマンはつづけています。
ギャンブルもつづけてました。
そのころ、地元のホームセンターで4万円くらいの自転車を買いました。
なんてことない、ちょっと変速できるくらいのママチャリです。
- パチンコいくとき
- 競馬いくとき
- 麻雀いくとき
- コンビニいくとき
などに乗ってました。
あいもかわらず、おかねはなかったですねえ。
38才の九州
それから38才のとき、九州へ自転車といっしょに転勤しました。
ほどなくして、なんと、蓄財と投資のスイッチが入ったのです。
いま思うと、おかねがない日々にホントつかれたのでしょう。
質素倹約の日々となり、ママチャリでの行き先が変わりました。
- 激安スーパーのはしご
- JR4駅分先の街中にしかない、うちの地元地銀ATM(手数料)
- それぞれ離れた場所にあるブックオフ4店舗(おかね本、投資本)
職場のひとたちのドギモをぬく、真夏でも真冬でもどこまでもという自転車生活を過ごしました。
日経平均が7000円台まで下がってたギリシャ危機ころのことです。
また地元に戻って
44才で地元近くのアパートに戻ったときも、
結婚して、いままで住んだこともないキレイなマンションに住んだときも、
47歳のときに、子どもといっしょに戸建てに引っ越したときも、
ちょこちょこ直しながら13年以上、このママチャリには乗ってきました。
最近では、ホクホク出版倉庫兼事務所へ通うのに使ってたです。
このたび、とうとうガタがきました。
また修理してもおかねが出ていくばかりで、もうさすがに捨てるしかありません。
これで、ギャンブル依存だったころからの想い出が、またひとつなくなります。
極限倹約生活の想い出も、いっしょになくなります。
ついこのまえだったような、遠いむかしだったような、過ぎていったこの10年ちょっとを思い返しました。