身の丈で暮らして運用したり、商売がうまくいったりすると、おかねが増えてきます。
もちろんうれしいですが、小市民のわたしたちは、エラくなった錯覚をもたないように気をつけたいです。
他人より優れたとしても
うまくいきはじめると、ついつい他人と比較して調子にのったイタイひとになってしまいます。
頭がいいと
頭がいいと、他のひとよりいい大学にいけます。
頭がいいと、他のひとより理解が早く深くすすみます。
頭がいいと、他のひとがわからないことに気づきます。
頭がいいと、他のひとよりうまくすすむのが当たり前になります。
だからといって、他人より上でもなければ下でもありません。
ただ、頭を使うのが上手なだけです。
運動ができると
運動ができると、他のひとよりいい順位がとれます。
運動ができると、他のひとより上達が早くスムーズにすすみます。
運動ができると、他のひとができないプレーができます。
運動ができると、他のひとよりうまくすすむのが当たり前になります。
だからといって、他人より上でもなければ下でもありません。
ただ、体を動かすのが得意なだけです。
おかねをたくさん持ったとしても
もっとお金持ちがいるから調子にのらない、という考えでは、やっぱり他人と上下を比較しています。
おかねを使いきれないほど持ったとして
おかねが多いと、他のひとに頼みごとができます。
おかねが多いと、ひとを雇って指示を出せます。
おかねが多いと、他のひとが買えないモノを買えます。
おかねが多いと、他のひとよりうまくすすむのが当たり前になります。
だからといって、他人より上でもなければ下でもありません。
ただ、おかねを利用できるだけです。
おかねを必要分だけは持つつもりで
だれかの役に立っておかねを増やせた経験はすばらしいですが、おかねがあってもなくても、みんなとおなじひとりの人間であることに変化はありません。
おかねをたくさん持てばエライ、万能感はついついカンチガイを生んでしまいます。
おかねにかぎらず、なんでも他人との比較に意味はありません。
家族と安心して暮らせる分だけのおかねを、シンドイ作業なしで工面できたらサイコー、という自分基準の姿勢のままがよさそうです。
まとめると
おかねをたくさん持っているから立派なわけではありません。
おかねに困らないのがラクなだけ、という庶民感覚のまま、わたしたちは自分なりに増やしていきましょう。
ギャンブル依存は投資に向いている
ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。
身が切られるほどのイタイ額を賭ける、ドーパミン中毒でした。
余裕があるひとの数十万円よりも、ギリギリ生活者が勝負する千円の美学にあこがれる日々だったです。
“奪い合い” で “だれの役にも立たない” ギャンブルをつづけたために、
いつもおかねに困るようになりました。
主戦場を、“ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。
世界中の企業に託していきましょう。
自分なりにギリギリまで運用に廻せば、しぜんとおかねが増えていきます。
見た目の額で他人と比較する習慣がない、ギャンブル依存でよかった。
これからゆたかになりましょう。