ギャンブル依存どおしの “あるある” に、待ち合わせ場所はパチンコ屋、というのがありました。
昭和から平成に変わっていったころのはなしです。
待ち合わせ場所
わたしの大学生時代、世の中にケータイはなく、出先の公衆電話からみんな留守番電話を聴いていました。
ふつうのひと
友人が帰省してきて、ひさびさに会うとしたら、
ふつうは、
- 駅まで迎えにいく
- デパートの前
- 喫茶店
いまでもこんな待ち合わせになるでしょう。
ギャンブル依存のひと
ギャンブル依存どおしだと、そうはいきません。
- 帰省するひとがパチンコに行ってしまい、新幹線に乗れない
- 地元のひとがパチンコに行ってしまい、たどり着けない
となってしまいます。
パチンコをはじめてしまうと、勝ってても負けてても動けなくなるのが
日常なひとたちだからです。
パチンコ屋で待ち合わせ
しぜんと、駅前パチンコ屋での待ち合わせになります。
どちらか遅れようが遅れまいが、パチンコをしとけばいいからです。
館内放送
そして当時、パチンコ屋に電話をかけると放送で呼び出してくれる、ありがたい制度がありました。
- “京都からお越しの、たなかさーまー、たなかさーまー”
うるさいパチンコ屋のなかでも、聞きとれるのがギャンブル依存の特技です。
見えない列の何番台が大当たりしたか、日頃から館内放送で訓練されてました。
ひさびさに会って
そしていざ、遅れてきたギャンブル依存が、先に来てパチンコしているギャンブル依存をみつけて声をかけます。
出ていても出てなくてもパチンコはつづくので、遅れてきたギャンブル依存もパチンコをどっかではじめるしかありません。
先に来ているギャンブル依存がそろそろやめようと思ったとしても、遅れてきたギャンブル依存がまだ必死でパチンコしています。
まあキライな訳ないので、当然またつづきます。
そしてあれよあれよと、いつの間にか閉店時間となり、
最初にあいさつしてから、やっとはじめてゆっくり話せるのです。
といっても、最終電車までの短い時間、
ひさびさに会って、離れてパチンコして、最後にちょっとだけ話して、もう解散。
時代を感じる、ギャンブル依存 “あるある” ですねえ。
あのころの、情けない、でもなつかしい、想い出はなしを終わります。