ギャンブルをやっていると、年に何回か勝ちまくることがあります。
やることなすことすべてうまくいって未来が見える感覚は、勝つことよりも興奮してましたねえ。
まじめに麻雀してると

麻雀は、ひとつ牌をもってきて、ひとつ牌をすてる、をくり返して、完成形をめざすゲームです。

麻雀をはじめたころは、
- どれをすてるか
を考え、

ちょっと慣れてくると、
- なにをもってくると有利か
を考えます。

もうちょっとやってると、
- これをもってこれるなら、調子がいい
と感じはじめ、

流れがいい、体勢がいい、と表現するのです。
妄想ゲーム
その先には、
- 予想する
- 因果関係を探す
- 必然を求める
ひたすら妄想しつづける状況へ陥るのです。
予想する
そうこうしてくると、次の展開を予想しはじめます。

どういうわけか麻雀が、
- アガリをめざすゲーム
から、
- つぎになにが起きていくかを予想するゲーム
へ変化しはじめ、

“ここでは途中までうまくいくと思うけど、横のひとが攻めてきたら無理をせず、向かいのひとなら戦おう”、
とか、予想するほうがたのしくなるのです。
因果関係を探す
ほかには、どういうわけか因果関係を探してこじつけはじめます。

うまく手牌がすすまないと、
- この状態でここをもってこられないのは、さっきお菓子を食べたからか
わけのわからない妄想、

パチンコをしていても、
- 確率を大幅にこえて大当たりがこないのは、日頃の精進が足りないからか
わけのわからない自責の念がわいてくるのです。
必然を求める

そのえで、たまに連続して予想が当たるゾーン状態へ夢中になり、
- 確率の世界にいながら、偶然ではなく必然を求める
という感じで、ちょっと頭のおかしい哲学者風に酔っていく日々でした。

まあ、まじめなギャンブル依存あるあるですねえ。
“確率だけでは説明できないことに挑戦している” といった錯覚に酔ってる、

ただのおかねがない破綻者でした。

なにを言ってるのかわからないかも知れませんが、
なさけない、はずかしい、でもなつかしい、
真剣に生きてたあのころの想い出はなしをしてみました。