ギャンブル依存経験談

必然を求める哲学者 – ギャンブル依存 –

ギャンブルをやっていると、年に何回か勝ちまくることがあります。

やることなすことすべてうまくいって未来が見える感覚は、勝つことよりも興奮してましたねえ。

まじめに麻雀してると

麻雀は、ひとつ牌をもってきて、ひとつ牌をすてる、をくり返して、完成形をめざすゲームです。

麻雀をはじめたころは、

  • どれをすてるか

を考え、

ちょっと慣れてくると、

  • なにをもってくると有利か

を考えます。

もうちょっとやってると、

  • これをもってこれるなら、調子がいい

と感じはじめ、

流れがいい、体勢がいい、と表現するのです。

妄想ゲーム

その先には、

  1. 予想する
  2. 因果関係を探す
  3. 必然を求める

ひたすら妄想しつづける状況へ陥るのです。

予想する

そうこうしてくると、次の展開を予想しはじめます。

どういうわけか麻雀が、

  • アガリをめざすゲーム

から、

  • つぎになにが起きていくかを予想するゲーム

へ変化しはじめ、

“ここでは途中までうまくいくと思うけど、横のひとが攻めてきたら無理をせず、向かいのひとなら戦おう”、

とか、予想するほうがたのしくなるのです。

因果関係を探す

ほかには、どういうわけか因果関係を探してこじつけはじめます。

うまく手牌がすすまないと、

  • この状態でここをもってこられないのは、さっきお菓子を食べたからか

わけのわからない妄想、

パチンコをしていても、

  • 確率を大幅にこえて大当たりがこないのは、日頃の精進が足りないからか

わけのわからない自責の念がわいてくるのです。

必然を求める

そのえで、たまに連続して予想が当たるゾーン状態へ夢中になり、

  • 確率の世界にいながら、偶然ではなく必然を求める

という感じで、ちょっと頭のおかしい哲学者風に酔っていく日々でした。

まあ、まじめなギャンブル依存あるあるですねえ。

“確率だけでは説明できないことに挑戦している” といった錯覚に酔ってる、

ただのおかねがない破綻者でした。

なにを言ってるのかわからないかも知れませんが、

なさけない、はずかしい、でもなつかしい、

真剣に生きてたあのころの想い出はなしをしてみました。