最近、依存症の本をよく読みます。
病気になってだれが困るか、という説明をよくみかけます。
依存症に限らず、だれにでも何にでもあてはまるはなしに感じます。
病気とは
病気になると、熱がでたり、痛くなったりして、困ります。
病気になっても、症状がなくてなんともないのなら、困りません。
困るから病気であり、困るから病院にいく、と表現できます。
また、病気にかぎらず、いまもしくは今後困るから問題に対応する、ともいえます。
困るひと
一般的な病気
一般的に、病気になると本人が一番困ります。
困っている本人が病院にいきます。
もちろん、困っている本人をみて家族も困ります。
依存症
依存症になると、家族が一番困ります。
本人はひたすらアルコールやギャンブルに没頭しているだけで、
おかねや生活維持のために、本人ではなく周囲のひとが困ります。
困っている周囲のひとが、病院にいくようになります。
依存症の本人に困ってもらう
ところが、依存症の本人自身は、困ってないのに、
自分が被害者でツライように感じています。
意識か無意識か、周囲のひとがどうにかしてくれると思っているのです。
だからアルコールでもギャンブルでも、まず金銭的な援助をやめて、
本人に困ってもらうのが治療のスタートになることに気づきます。
老後資金と困るひと
この依存症のはなしは、世間で言われる老後資金のはなしにソックリです。
日々被害者意識をもって収入をすべて浪費し、貯蓄も運用もしないひとが一定数います。
意識か無意識か、老後の生活資金は日本国が準備してくれると思っています。
年金・医療・介護など福祉費用のための日本国債乱発によって困るのは、つぎの世代やつぎのつぎの世代のひとたちです。
もしかしたら、わたしたちみんな依存症なのかもしれません。
まとめると
依存症になる原因のひとつに、困るひとが本人でないことが関与します。
老後資金問題を例にしましたが、ハラスメントなどなんでも、
原因をつくるひとと困るひととがちがう問題は、たくさんありそうです。
依存症について学ぶと、解決の参考になりますね。
まじめなギャンブル依存は投資に向いている
ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。
真剣にギャンブルをすればするほど、
勝てないのも、おかねがないのも、すべて自分の責任と考えるようになりました。
“奪い合い” で “だれもよろこばない” ギャンブルにおかねを放りつづけたため、
いつもおかねに困るようになりました。
主戦場を、“ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。
世界中の企業に、おかねを放り託していきましょう。
真剣にやるので、おかねに困らなくなります。
自己責任を求めた経験のある、まじめなギャンブル依存でよかった。
これからゆたかになりましょう。