おかねへの姿勢

もらう給料は安くて当たり前

わたしたち労働者の給料は、安くて当たり前です。

リスクをとっていない、という現実があるからです。

他の表現として、専門性や自己評価の観点からもみてみましょう。

専門性

お客さんによろこんでもらうと、会社におかねが入ってきます。

かかわったみんな、それなりに付加価値をあげたので、

おかねが配分されます。

10人なら10人、100人なら100人で分けるわけですが、

もし、あるひとりのひとの作業内容が特殊で、

そのひとしかできなかったらどうなるでしょう。

そのひとに、多く配分されることになります。

別の作業所に引き抜かれたらいけないからです。

そのひとが専門性を身につけるために要した労力に対して、

おかねが多めに支払われている、とも言えそうです。

若いときに、自分にしかできない技術習得にかけた時間が多いほど、

労力の単価が高くなることになります。

わたしたちは交代要員が他にもいる作業しかできないのだから、

もらう給料は安くて当たり前になります。

自己評価

行動心理学のはなしのなかに、

  • 90%のひとが、オレの運転技術は上位50%以内に入る、と思っている

という内容があります。

  • オレの作業能力は高い

と、みんな思うんです。

そうすると、みんな自己評価が高いので、採点されると、

  • オレの評価は不当に低い

となってしまいます。

みんながおなじ作業をして、みんなが評価を低く感じます。

もらう給料は安くて当たり前になります。

わたす給料は高い

だれかに作業をしてもらって、おかねをわたすのは、

ひとを雇ったことがなくても経験しています。

  • 修理してもらう
  • 教えてもらう
  • モノを売ってもらう

おかねをつかうときには、相手の作業内容の大きさではなく、

自分におかね以上のメリットがあるかを考えています。

給料をわたすオーナーになったことがなくても、

わたす給料は多く感じるだろう、と推測できます。

やっぱり、もらう給料は安くて当たり前になります。

そう考えると、労働収入を増やそうとしても、

しんどくなるばかりなことに気づきます。

給料が安いことを悩むよりも、歳をとって専門性を高める努力するよりも、

質素に暮らして給料以外の資本収入をつくる、のが理にかなってそうです。

まとめると

もらう給料は安くて当たり前です。

労働収入を高くする努力は、精神衛生上よくないです。

もらう給料のなかで自分なりにやりくりしながら、

投資や副業をしていきましょう。

ギャンブル依存は投資に向いている

ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。

依存症のために、自己評価が低く、

“どうせ、オレなんて” という自己肯定感のいちじるしく低い人間でした。

“奪い合い” で “だれもよろこばない” ギャンブルにおかねを放りつづけたため、

いつもおかねに困るようになりました。

主戦場を、“ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。

世界中の企業に、おかねを放り託していきましょう。

給料をやりくりしてホクホク投資をすれば、おかねに困らなくなります。

元来自己評価が低い、ギャンブル依存でよかった。

これからゆたかになりましょう。