どうしてギャンブルはトータルで勝てないのにわからないんだろう?
ギャンブルしないひとたちには、ギャンブル依存のひとたちが理解できません。
“思考が誤っている” からギャンブルをつづけてしまう、といろんな本に書いてあります。
どういうことでしょうか。
思考が誤っている
ギャンブル依存の誤っている思考に、
- 根拠のない信念
- わけのわからない言い訳
が、よくあげられます。
根拠のない信念
ギャンブル依存のひとは、
- あの台なら勝てそうだ
- そろそろ当たる頃だ
などと言いはじめることがあります。
でも、本気で思っているはずありません。
真剣勝負をくり返していると、何かにすがりつきたくなるわけです。
ギャンブル依存のひとは、ギャンブルを止められないドーパミン中毒です。
自分でもトータルで勝てないとわかってる、ギャンブルをつづけるのが苦しいんです。
苦しくて、思わず根拠のない信念がもれてきています。
これが野球選手だったらどうでしょうか。
- 選手チームが負けたら道順を変更する
- 監督が、勝ったらパンツを変えない
おそらく、道順やパンツで勝敗が決まると、本気で思ってるはずがありません。
真剣勝負をくり返していると、何かにすがりつきたくなるのでしょう。
プロスポーツ選手も、勝てないと苦しくて、根拠のない信念がもれてきてます。
しかしこんな場合は、ゲンを担ぐ勝負師とカッコよくいわれたりします。
思考がおかしい、とは言われません。
冷静に考えると、ギャンブル依存でも、プロスポーツ選手でも、ほかだれでも、
苦しいときに何かにすがり、根拠のない信念をもってしまうことに気づきます。
わけのわからない言い訳
ギャンブル依存のひとは、
- 今日ははじめから負けるつもりだった
- パチンコ屋にあずけてきた
と言いはじめることがあります。
でも、本気で思っているはずありません。
ほとんど残っていないおかねがまた減ってしまい、
シンドくて、シンドくて、何か言わないと気がすまないのです。
これが、資格試験を受ける前のひとならどうでしょうか。
- 忙しくてぜんぜん準備できてない
- 今回はとりあえず参加だけしてみた
ついつい、受ける前から弱音を吐いてしまいます。
落ちてしまうのが、イヤで、イヤで、
わけのわからない言い訳を言わないと気がすまないのです。
しかしこんな場合は、みんなそんなもんだ、といわれたりします。
思考がおかしい、とは言われません。
冷静に考えると、ギャンブル依存でも、資格試験前のひとでも、ほかだれでも、
苦しいときに何か言いたくて、わけのわからない言い訳をしてしまうことに気づきます。
認知的不協和
この状況は、行動経済学の本のなかにある “認知的不協和” で説明できます。
自分の考えや前提とした条件が間違いであったときに、ヒトは誰でも心理的葛藤が生じます。
その際ヒトは、自己否定しないように自分の心をごまかそうとしてしまいます。
イソップ童話の “すっぱいぶどう” 話とおなじです。
キツネが木にぶら下がっているブドウをとろうとして悪戦苦闘したけども、とることができず、
去り際に “あのブドウはすっぱいからイラナイ!” といってしまう童話のことです。
平たくいえば、負け惜しみ、ヒトの性、です。
つまりヒトはみな、うまくいかないと認知的不協和をおこして、ゲン担ぎや言い訳をします。
ギャンブル依存のひとは、ドーパミン中毒となり、
おかね・時間・健康・信用を失いながらギャンブルをつづけていく苦しさのあまり、
ゲンを担ぎ、言い訳をするようになりました。
耐えられないほどの苦しさが日常的につづくギャンブル依存は、その程度がブッとんでいるだけです。
ここに借金まで加わると、“言い訳”を通りこして “ウソ”になっていきます。
決して、思考がおかしくなっているわけではありません。
苦しくて苦しくて、たまらないんです。
ギャンブル依存のひともギャンブルしないひとも、苦しくなったらおんなじ思考と反応をしてしまいます。
まとめると
根拠のない信念やわけのわからない言い訳がみられるギャンブル依存は、
思考が誤っていると考えられたりします。
ギャンブルにより日常的に耐えられないほど苦しく、認知的不協和がおきています。
苦しくなると、だれでもそうなるのです。
ギャンブル依存は投資にむいている
ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。
魔物であるおかねと向き合いながら、パチンコ玉やお馬さん “託し” つづけてきました。
苦しいなかギャンブルをつづけ、真剣勝負するときの “人間のかなしい性” を経験してきました。
“奪い合い” で “だれもよろこばない” ギャンブルをつづけたために、
いつもおかねに困るようになりました。
これからは、主戦場を “ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。
魔物であるおかねと向き合いながら、世界中の企業に “託し” つづければ、おかねが増えていきます。
真剣勝負での認知的不協和が理解できる、ギャンブル依存でよかった。
これからゆたかになっていきましょう。