ギャンブル依存経験談

競艇専用列車

中学生のころに国鉄からJRにかわったので、30年以上前になります。

中学生、高校生のときは、列車で通学してました。

ボートレースが終わると

中学生だったか高校生だったか、地元のボートレース場開催期間中は、臨時列車が走ってました。

通学帰りの時間とレース終了時間が近かったのでしょう、

予定列車と予定列車の間に運行される臨時列車に遭遇してました。

ボートレース場に行っていたひとのための無料列車です。

列車内に灰皿があるような時代、

まあ、異様な雰囲気でした。

よほど急いでないかぎり、乗りこまない生徒のほうが多かったような気がします。

学校の先生が言うには

学校の先生がいつだったか、

“無料列車のなかが異様な感じがするのはなぜか” を説明してくれたことがありました。

“負けてスッテンテンのひとばかりが列車に乗っている”

“勝ったひとは、タクシーで帰るから”

というような内容でした。

当時は、“なるほどなあ” と思いました。

ギャンブル依存になってみて

それから数年後には、なんと自分自身が異様な雰囲気をだす側にまわってました。

いまふり返ってみると、学校の先生はギャンブルのことを知らなかったんだなあと思います。

勝ったからタクシーに乗るようなひとは、負けてもタクシーに乗るし、異様な雰囲気はもっていません。

反対に、ギャンブル依存のひとは、勝っても負けても無料列車に乗ります。

ギャンブルにしかおかねを使えない、ふしぎな生き物になっているからです。

この習性こそが、異様な雰囲気を感じさせるわけです。

学校の先生でなくてもだれも知るわけがない、

だからどうした、という想い出はなしをしてしまいました。

そんなわたしは、もうギャンブルを卒業して10年くらいになりますが、

いまでも小汚い格好のちょっと異様な雰囲気で列車に乗っています。

おかねを使えない習性は、一生のこりつづけるんですねえ。