ギャンブル依存

パチンコ屋から救急車で運ばれました

ずっとギャンブルしていました。

徹夜明けでもパチンコいってました。

救急車で運ばれたこともあります。

ほんとのクズでした。

ずっとギャンブル

大学時代、ほとんど学校に行ってなかったです。

開店からパチンコ、もちろん閉店まで。

食事もせずに、飲みものだけで半日すごしてました。

閉店してからは、コンビニ弁当を食べながら、競馬雑誌をみることが多かったです。

パチンコのあとに興奮がさめやらないと、そのまま雀荘に直行となります。

出前定食を食べながら、朝まで徹夜で麻雀。

ずっと寝ず、ずっとタバコをすっています。

朝になると、もちろんまたパチンコです。

開店と同時に戦いがはじまり、閉店までつづきます。

そして閉店になると、何かを口に入れて、死んだように眠りに落ちます。

“このまま死んだらいいのに”、よく思ってました。

パチ屋に救急車

パチンコして、徹夜で麻雀して、またパチンコしてたある日のことです。

ダイナマイトを朝からうって、調子がよかった日でした。

勝負どころで気分がわるくなってきました。

そうはいってもやめられません。

連チャンしているのに、どんどん気持ち悪くなってきます。

とうとう息苦しくなって、店の外に出ました。

それでも息苦しくて座りこんでいると、通りがかりのひとが救急車をよんでくれました。

どうみても、体調をくずした浮浪者にみえたのでしょう。

ボロボロのシャツと短パン、無精ひげ、はだしでスリッパ、

どっからみてもかかわりたくないひとが、道ばたに座りこんでいるわけです。

人生ではじめて救急車にのりました。

でてきたパチンコ屋の店員さんに、“236番台に玉をおいてます”と必死でつたえながら。

まわりのひとは、ほんとに死ねばいいのに、と思ったかもしれません。

上をむいて揺れていると、さらに気分が悪くなります。

病院についたときには、まったく動けず、シーツでヨイショされました。

そこからはなすがままでしたが、

看護師さんがスリッパを脱がしたとき、“くーっさい” と言われたのには、

申し訳ないなあ、と思ったのをおぼえています。

パチ屋にもどる

寝台でいろいろ運ばれ検査して、点滴してたら少しずつラクになっていきました。

そして2時間くらい寝たら、動けるようになってました。

帰るときに病院で8000円くらい払って、“イタイなあ” と反射的に思ったんです。

救いがたいクズでした。

歩いてパチンコ屋にもどると、お店のひとが玉を換金してくれてました。

さすがに、またパチンコするわけにもいかず、おとなしくその日は帰りました。

それからどうなる

そして次の朝、またパチンコをうってました。

なにもかわらない日常にもどってました。

いろんな方に迷惑かけながら、ずっとギャンブルしてました。

情けない、恥ずかしい、ギャンブル依存のころの想い出はなしをおわります。