ギャンブルをやめてこの10年、質素に暮らして投資をつづけているので、
サラリーマンとしてはけっこうおかねをもっています。
結婚もできたりして、いつのまにか、そこそこちゃんとした社会人になってることに驚きます。
20年前を知ってるひと
ずっとギャンブルばかりで、カッコウはきたないし、おかねもってないし、不健康だし、
周囲からみて、とんでもないヤツでした。
当時を知っているひとに会う機会があると、
ギャンブルをやめて、しかも健康そうにしているので驚かれます。
そして、友人、同僚、上司、みんな一様によろこんでくれます。
そこで、ギャンブル経験は “だからよかった” に換えられる、と言うと、
それなりに笑ってくれるひと、盛り上がってくれるひとが多いです。
“だからよかった” が通じない相手
しかし、“だからよかった” で盛り上がらない相手がいます。
ギャンブルしなくなってることをよろこんでいるけど、笑わないひとがひとりだけいます。
うちの母親です。
実家に帰って、投資やむかしばなしをしていると、
- まあ、あれだけ迷惑かけといて、“だからよかった” はないわ
頭を下げるしかありません。
- その節は、ご迷惑おかけしました
相手はさらにかぶせてきます。
- あんなイカれてたのが、一人前の顔して投資のはなしできるんよ
シンドイですが、過去は消せません。
- 多大なるご支援ありがとうございました
そしてそのまま、実家からいなくなるようにしています。
もしギャンブル依存のときに結婚してくれるひとがいたなら、
ギャンブルしなくなっても、こんな針のムシロが毎日一生つづくわけです。
殴ったひとは忘れても、殴られたひとは忘れません。
依存症から回復しても、また別の試練が待ってることに気づかされます。
それでも、ギャンブル依存は反転させて克服したほうが健全です。
そのうえで、あとは、自責の念で暮らしていくしかありません。
まあ、“だからよかった”、”ギャンブル依存でよかった”、と発言する場所はおたがい気をつけていきましょう。