大学生時代に、いちばんマジメにうったパチンコ台は、保留玉連チャン機のフィーバークイーンでした。
そのちょっと前に、ノーマル機の弾丸物語SPをマジメにうってたこともありました。
連チャンフィーバー機全盛時代
自分が大学生だったころ、連チャンフィーバー台が人気でした。
(その当時の)低確率でなかなか当たらないけど出だすと止まらない、ドル箱がたくさん積んである華やかなシマにみんな集まってました。
三共・西陣・平和などのメーカーから、保留玉連チャン、数珠つなぎ連チャンの台がどんどんホールに送り込まれます。
液晶画面が鮮やかで、とんでもなく連チャンする、麻雀物語があらわれたときはビックリ興奮だったですねえ。
弾丸物語SP
そんなころ、高確率で連チャンがまったくないという、時代に逆行する台がありました。
弾丸物語SPの大当たり確率 1/200は、1/230-250があたり前の時代に衝撃だったです。
その台をうつためだけに、街中飲み屋街にあるパチンコ屋まで自転車で行ってた時期がありました。
開店から閉店まで高確率の台を地道に打つと、ほとんどズレなくほぼ期待値どおりにすすんでいきます。
12時間ひたすらひたすらうちつづけるので、負けることはまずなく、といっても大勝ちすることもなかったです。
このパチンコ屋へ働きに行く感覚だった数ヶ月間は、のちのフィーバークイーン通勤につながりました。
日が昇るまでお酒を飲んでいたひととすれ違いながらパチンコ屋に入って、
2次会、3次会に向かっているひとやタクシーを避けながらパチンコ屋から帰る日々でした。
弾丸物語SPといえば、自分だけシラフだった地元飲み屋街の光景が浮かんできます。
まあなにがなんだか、パチンコ機種がわからないと通じにくい想い出はなしを終わります。