ギャンブル依存経験談

学生時代の雀荘アルバイト

ギャンブルでおかねがなくなると、単発の学生バイトによくいってました。

それとは別に、カラオケ屋 や 製造業ライン などいろんなとこで働いた数年間、セット雀荘でのアルバイトがいちばん長かったですねえ。

寿司屋 と 雀荘

学生時代途中から終わりまで、寿司屋 と 雀荘 がひっついたお店でずっとアルバイトしてました。

なんとなく

お寿司 と 麻雀 どちらも好きなので、バイト雑誌をみて、なんとなく電話して、その日に自転車で行ったら、あれよあれよのながれでした。

あたりまえですが、バイト君ではお寿司を食べさせてもらえなかったです。

とはいっても、ハッピを着た個人商店でのホール接客仕事は、それなりにいい経験だったです。

バイト内容

夕方17時からお寿司屋さんが終わる21時頃まで、お寿司屋さんの接客と料理の盛り付けをしながら、

定期的に雀荘側もまわっていきます。

ごはん食べながら麻雀をする、昔ながらのセット雀荘でした。

お寿司屋さんが終わると、片付けを手伝って、

あとは雀荘最後のお客さんたちが帰るまで、雀荘のボーイ専任です。

いつ帰れるのかわからないので、タバコを吸いながら、パチンコ・競馬・麻雀の雑誌を読みつづけてました。

卓が終わるたびに、ぜんぶの牌6面をおこしたり寝かせたりしながら拭いていきます。

雀荘で働くひとあるあるですが、136枚 x 2セットをすばやくリズムよく拭けるようになって、

ちょっとばかり手馴れて感じを、お客さんにちょくちょく褒められてました。

社長さんがいる卓

常連さんの中にはいろんなグループがありましたが、とくにおぼえているのは

  • 運送会社の社長さん
  • 銀行の支店長さん
  • 警察のお偉いさん

いつも3人打ちの卓です。

もちろん名乗ることはなかったので、寿司屋のマスターからいつの間にか聞かされたのでしょう。

みなさん感じのいい紳士で、たのしんでばかりの麻雀でした。

そして、他のグループにはない、

  • 料理注文
  • レート
  • おこづかい

とにかく、おかねある感じがあふれてました。

料理注文

まず、注文する料理の単価がちがってます。

巻き寿司 や おにぎり、うどん を注文するお客さんが多いなか、

とり貝の焼き や 時価の寿司単品 を、値段も気にせず嫌味もなく注文してました。

レート

そして、賭け額がちがってました。

記録している紙をみると、そんなに大きく差がなくても、精算時には万札がそれなりに動きます。

まあまあ高めののレートだったはずです。

支店長さんがよく勝ってて、

  • “あら、こんなとこツモちゃったあ”

くるしい局をしのぐと、まあ子どものようにゴキゲンな声がでてましたねえ。

おこづかい

そしてなんと、社長が勝った日は、お小遣いをもらえたのです。

勝ったひとが卓の支払いをするルールだったので、

“7600円です” と伝票を見せると、たのしそうに千円札を1枚ずつ、

  • “1, 2, 3, ・・・7, 8, 9, ・・・12”

と重ねていきながら、

  • “おい、止めんのかあ”

こんな感じで、まあ、ゴキゲンだったです。

12000円から7600円を引いた、4400円のお小遣いをゲット。

そりゃあ、しぜんと毎回社長に期待してしまいます。

ゲンキンなはなしですが、わたしは社長の麻雀を、世界で一番応援していたと思います。

まあ、あの時代の一部のひとにしかわからない、なんの役にも立たない、なんともまとめようのない雀荘ネタでした。

なんとも情けない、恥ずかしい、でもなつかしい、ギャンブル依存時代の想い出はなしを終わります。

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