私たちは誰からも尊重され大切にしてもらう権利がある、という自己受容によって、依存症であってもなくても、みんな自己肯定感を上げていきたいです。
しかし、多くのひとは、カウンセリング や 自己啓発 のはなしに慣れてはいません。
そこで、心理学的な表現ではなく金融的な考え方で、自己受容から自己肯定感上昇へとつなげてみましょう。
心理学的な一般的自己肯定感アップ法

依存症であってもなくても、しがないサラリーマンが 充実感 や 自己肯定感 を手に入れるのは、極めて困難です。

一般的には、ありのままの自分を受け入れる とか 自分を許す とかによって、自己重要性を感じることから解決しようと言われます。
厭世的考え

依存症のひとは、
- どうせオレなんて
- 自分が生きたところで

死んでしまいたくなるほどシンドイくなりがちで、

- シンドイ生き方をするから、ギャンブルに依存する
- ギャンブルに依存するから、シンドイ生き方になる

そんな負のスパイラルから抜けだすために、

自分だってそれなりにイケてる、と自己肯定感を上げていきたいです。
ありのままの自分を受け入れる

そのためには、
- ありのままの自分を受け入れる

というのが、一般的な正解で、

- 誰からも尊重され、大切にされる権利

に気づいて、ラクになっていく姿勢が推奨されます。

とくに、カウンセリング や 自己啓発 の本などでは頻繁に見かける内容でしょう。

といっても、なんかフワーとした耳障りで、ねずみ講の勧誘っぽくも感じられ、

宗教的な雰囲気が苦手でないひとにはオススメかもしれませんが、日々アクセク働かされているだけのわたしたちには、ピンとこない近づきがたい表現です。
金融学的に考える自己肯定感アップ法

それよりも、ただ生きているだけでだれかの役に立っている、そんな現実を金融学的に気づきたいです。

金融といっても、おかねを稼ぐべき姿勢ではなく、しぜんとおかねを使っている自分にフォーカスする感覚です。
生産性の呪縛

もし、おかねを稼ぐ視点で考えれば、
- 働かざる者喰うべからず

に象徴される感じで、

- キツイ労働をしてこそ一人前、迷惑をかけてはいけない

という固定観念につながって、やはりシンドイばかりです。

そして、“おかねを稼ぐ” 生産性を他人と比較し、
- どうせオレなんて

どんどん落ち込んでしまいます。
消費している

そうではなく、おかねを使う立場から、自分の存在を肯定的にとらえましょう。

生きていれば、どんなひとでも、
- なにかを食べ
- どこかに住み
- 公共や企業のサービスを受け

ながら暮らし、つねに個人消費を生じつづけています。

逆に言うと、自分が生きているだけで、他人の仕事を発生させつづけているのです。

たとえどんな質素な食事であっても、庶民的で粗末な衣服であっても、

材料・加工・配送などさまざまなひとたちの仕事が積み重ねった結晶なはずであり、

自分たちの大したことない消費であっても、他人の仕事を創りだし、そして支払いを発生させている現実に気づきます。

国内総生産のほとんどが個人消費なわけで、日本だけでなく世界中におかねが駆けまわる一役を、

言い換えると、世界経済の成長を、わたしたちそれぞれが担っているのです。

- ただ生きているだけでだれかの役に立っている

たしかに自己重要性を感じて、ありのままを受け入れそうでしょう。
生きてるだけで立派

生きてるだけでだれか知らないひとの役に立ち、だれからも尊重され大切にされていい、と気づくだけでラクになり、

なにか挑戦したくなる感覚がわいてくるかもしれません。

宗教的思考 や 自己啓発アプローチ、苦手なら金融的な理論、どれでもいいので、
- ありのままの自分を受け入れ
- 誰からも尊重され、大切にしてもらう権利をしっかり認めて

自己肯定感を上げていくサイクルへすすんでいきたいです。
まとめると

- 自己肯定感をあげにくい境遇のひと
- 厭世的な依存症のひと
宗教的や自己啓発的な考え方が苦手だったら、金融的に考えればいいです。
そして、生きてるだけで消費をとおして他人の役に立っている事実に気づき、かけがえのない自分を大切にするキッカケとしましょう。
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【元ギャンブル依存ドクターの経歴】
ギャンブル依存は投資に向いている

ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。

しがない勤め人の収入から、毎日毎月、ひたすらパチンコ玉や馬に託しつづけ、

自己肯定感がどんどん下がっていく負のスパイラルどっぷりの日々だったです。

“奪い合い” で “だれの役にも立たない” ギャンブルをつづけたために、
いつもおかねに困るようになりました。

これからは、主戦場を “ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。

生きているだけでひとの役に立っていることに、まず気づき、

おかねを託し先を世界中の企業に変更すれば、しぜんとおかねが増えていきます。

そして、運用継続により、ひとの役に立ちながらおかねに困らなっていくので、

自己肯定感が上がるばかりです。

金融学的な自己受容だけで託せる能力が開花する、ギャンブル依存でよかった。
これからゆたかになりましょう。