ギャンブル依存経験談

単発バイトしたある日の帰り道

大学生のころ、ギャンブルしておかねがなくなるたび、単発バイトへ行ってました。

学校も行かず、昼夜を問わず、ひたすら1週間くらい働いて、またギャンブルへ戻るタネ銭づくりに必死だったです。

プロレス会場設営

ある連続単発バイト期間中、プロレス会場の設営と片づけという午後からのバイトへ、

ギャンブル仲間とふたり自転車で行きました。

プロレスがはじまる前に、物品を運び入れ、言われるがままに並べ、

その間、できあがったリング上では、プロレスラーのマジメな練習がつづいてました。

そして、そのままお客さんに混じってプロレス観戦、それもはじめての生観戦、

  • ジャンボ鶴田 や タイガーマスクをテレビで観てた、子どもの頃ならうれしかっただろうな

なんとも不思議な時間だったのを憶えています。

あれよあれよとプロレスが終わり、指示されるまま片付けをして、現金5000円をもらいました。

バイトの帰り道

ふたりで連日の肉体労働、

自転車で帰っている途中、引き寄せられるように焼き鳥屋へ入ってしまいます。

数日間まともな食事をとっていない二十歳すぎのお兄ちゃんふたりは、まあ気持ちよく飲み食いし、

会計は1万円、ふたりともたった今貰ったバイト代がなくなったのでした。

“あれ?あれれ?”

  • たしかに焼き鳥はおいしかったけど、なんのためにバイトしたのだろう?
  • 午後からプロレス行かなかったら、焼き鳥も行ってないよねえ?

一瞬、訳がわからなくなりました。

ギャンブルでおかねがなくなるのは慣れてますが、いま働いたおかねがすぐになくなってしまうのは、耐えがたいほどツラかったです。

ギャンブルを卒業するのも、貯金や投資をはじめるのも、それからずっと後のことでも、

あのとき、“あれ?あれれ?” という疑問を感じられたのは、いい経験だったような気がします。

いま振り返っても、情けない、はずかしい、そしてゼッタイに戻りたくない、

けれどやっぱり懐かしいギャンブ依存だったあの頃の、プロレスバイト帰り道想い出はなしを終わります。

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