おかねへの姿勢

実家が裕福でよかった、実家が裕福でなくてよかった

昭和の中流家庭に育ったわたしもそれなりに年齢を重ね、感じのいいお金持ちとお会いすることも増えてきました。

個人的な感想ですが、子どものころ裕福なのも裕福でないのも、どっちにもメリットがありますね。

実家が裕福でよかった

一般的に、裕福な家庭で育つと、

  1. おかねの知性を得やすい
  2. おかねによる制約がない

スムーズに裕福さを維持しやすい環境です。

おかねの知性を体感

実家が裕福ということは、必然的に労働者や個人事業ではなく、ビジネスオーナーであり、

おかねが増えるようにおかねを使う、それが当然であり日常、

そんな家庭に育てば、おかねの知性はしぜんと高くなるでしょう。

おかねの制限が少ない

やりたいことを実現するにあたり、初期投資や運転資金など、おかねの制約がほとんどありません。

というのも、あきらかにソンだったり、社会的におかしい事業でない限り、親に援助してもらえるからです。

たしかに実家が裕福だと、より裕福になりやすい環境と言えます。

実家が裕福でなくてよかった

一方、裕福でない家庭に育つと、

  1. おかねがなくて当然
  2. 守るモノがない
  3. 縛られない

おかねに困ることない、たくましく自由に生きやすい環境です。

おかねがないのが当たり前

実家が裕福でないということは、必然的に、労働者か個人事業なので、

周囲にお金持ちは、まずいません。

そんな家庭で育てば、おかねがないのは当たり前で、良くも悪くもそれなりに暮らしていくだけです。

心配事が少ない

持ち物が少ないので、天災や人災にあったらどうしよう、と心配する必要がありません。

失うモノ、守るモノはなく、

まして相続なんて心配事もないまま、どうにかこうにか生きていくだけでしょう。

しばりがない

キホン的に、家族はホントに困ったら助けてくれるくらいの関係なので、

もしおかねが欲しいのなら、自分でタネ銭をつくって、投資や副業へ励むだけです。

ふだんから援助がない分、どこまでも自由にたくましく暮らしていけます。

つまり、実家が裕福だと裕福な生活、実家が裕福でないのならたくましく気楽に自由な生活です。

どちらにしても、おかねは自分と家族の 健康・安全・幸せ・自由 のために使う単なる道具なので、

裕福に育っても育てなくても、結局自分次第で人生はうまくいく、そんな気がしますね。

まとめると

実家が裕福でも裕福でなくても、どっちでもいいことに気づいて、

与えられたところから、自分なりに自立してすすんでいきましょう。

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元ギャンブル依存ドクターの経歴

プロフィール

ギャンブル依存は投資に向いている

ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。

そして、おかねが減るギャンブルを興じるということは、実家が裕福ではありません。

元来の たくましさ

  • おかねがないのが当たり前
  • 心配事が少ない
  • しばりがない

は、ギャンブル依存による貧困のため、より強化される日々だったでしょう。

“奪い合い” で “だれの役にも立たない” ギャンブルをつづけたために、

いつもおかねに困るようになりました。

これからは、主戦場を “ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。

究極のたくましさ、怖さがなくなったその状態で、

育った環境のまま質素に暮らし、しゅくしゅくと運用をつづければ、しぜんとおかねは増え、

自由なまま、自分なりの裕福さ、健康、安全、幸せ、を手に入れるでしょう。

実家が裕福でない、ギャンブル依存でよかった。

これからゆたかになりましょう。