昭和の中流家庭に育ったわたしもそれなりに年齢を重ね、感じのいいお金持ちとお会いすることも増えてきました。
個人的な感想ですが、子どものころ裕福なのも裕福でないのも、どっちにもメリットがありますね。
実家が裕福でよかった
一般的に、裕福な家庭で育つと、
- おかねの知性を得やすい
- おかねによる制約がない
スムーズに裕福さを維持しやすい環境です。
おかねの知性を体感
実家が裕福ということは、必然的に労働者や個人事業ではなく、ビジネスオーナーであり、
おかねが増えるようにおかねを使う、それが当然であり日常、
そんな家庭に育てば、おかねの知性はしぜんと高くなるでしょう。
おかねの制限が少ない
やりたいことを実現するにあたり、初期投資や運転資金など、おかねの制約がほとんどありません。
というのも、あきらかにソンだったり、社会的におかしい事業でない限り、親に援助してもらえるからです。
たしかに実家が裕福だと、より裕福になりやすい環境と言えます。
実家が裕福でなくてよかった
一方、裕福でない家庭に育つと、
- おかねがなくて当然
- 守るモノがない
- 縛られない
おかねに困ることない、たくましく自由に生きやすい環境です。
おかねがないのが当たり前
実家が裕福でないということは、必然的に、労働者か個人事業なので、
周囲にお金持ちは、まずいません。
そんな家庭で育てば、おかねがないのは当たり前で、良くも悪くもそれなりに暮らしていくだけです。
心配事が少ない
持ち物が少ないので、天災や人災にあったらどうしよう、と心配する必要がありません。
失うモノ、守るモノはなく、
まして相続なんて心配事もないまま、どうにかこうにか生きていくだけでしょう。
しばりがない
キホン的に、家族はホントに困ったら助けてくれるくらいの関係なので、
もしおかねが欲しいのなら、自分でタネ銭をつくって、投資や副業へ励むだけです。
ふだんから援助がない分、どこまでも自由にたくましく暮らしていけます。
つまり、実家が裕福だと裕福な生活、実家が裕福でないのならたくましく気楽に自由な生活です。
どちらにしても、おかねは自分と家族の 健康・安全・幸せ・自由 のために使う単なる道具なので、
裕福に育っても育てなくても、結局自分次第で人生はうまくいく、そんな気がしています。
まとめると
実家が裕福でも裕福でなくても、どっちでもいいことに気づいて、
与えられたところから、自分なりに自立してすすんでいきましょう。
【関連記事のリンク】
“このままどうなっていくんだろう?”と感じたら、投資をはじめよう
【元ギャンブル依存ドクターの経歴】
ギャンブル依存は投資に向いている
ギャンブル依存のひとは、ずっとギャンブルしてきました。
そして、おかねが減るギャンブルを興じるということは、実家が裕福ではありません。
元来の たくましさ
- おかねがないのが当たり前
- 心配事が少ない
- しばりがない
は、ギャンブル依存による貧困のため、より強化される日々だったでしょう。
“奪い合い” で “だれの役にも立たない” ギャンブルをつづけたために、
いつもおかねに困るようになりました。
これからは、主戦場を “ひとによろこんでもらう” 株式投資に換えるだけでいいんです。
究極のたくましさ、怖さがなくなったその状態で、
育った環境のまま質素に暮らし、しゅくしゅくと運用をつづければ、しぜんとおかねは増え、
自由なまま、自分なりの裕福さ、健康、安全、幸せ、を手に入れるでしょう。
実家が裕福でない、ギャンブル依存でよかった。
これからゆたかになりましょう。