ギャンブル依存経験談

むかし行ってたパチンコ屋の近くをとおるたび

地元の大学をでて地元で就職、ちいさな転勤・転職をくり返して、今また地元にもどっています。

学生時代に行ったパチンコ屋の前を自転車や自動車でとおるたび、景色がちがって戸惑いますねえ。

ほぼ毎日いっていたパチンコ屋

大学に行かず毎日自転車で通っていたパチ屋は、当時の地元ではめずらしい、交換なし無制限営業だったです。

大学3年目の途中から通ったパチンコ屋

フィーバークイーンを、朝から晩まで打ってました。

西陣の液晶機種 “魔王” のシマは結構空いていて、気分転換に数日つづけて打つこともありました。

20代前半の4年間、我を忘れて過ごした空間だったです。

いまは回転すし屋

そんな懐かしのパチ屋は、転勤している期間中に、もうなくなってました。

いまは廻るお寿司屋さんとなって、週末には自動車がたくさん停まり、家族連れで賑わう空間です。

ほとんどのパチンコ屋がなくなっている

いろんな場所をとおるたび、街中でも郊外でも、あちこちでパチンコ屋がなくなっている現実に気づきます。

まあ、わたしがやめたくらいだから、お客さんはホントに減っているんでしょう。

街中にあったパチンコ屋さん

街中のパチ屋さんはほとんどが路面店の1階で、別の商売に変わっています。

キレイなお店だったりすると、違和感だらけですが、

やっぱり建物が同じなので、外見の一部に当時の面影も見つかったりします。

郊外にあったパチンコ屋さん

郊外にあったパチンコ屋さんのほとんどは壊され、大きなマンションが建って、

もう影もカタチもなくなっています。

近くをとおるたび

近くをとおるたびに、やっぱり学生時代を想い出します。

自転車でこんな遠くまできてたんだなあ と不思議に感じたり、あれから20歳以上年齢を重ねていることに驚いたり、

でも、なんとも言えないこの気持ちを、伝えて共感してもらえるひとは、どこにもいません。

ギャンブル依存はわからない
  • “パチンコ屋なんかなくなればいい”

という、ひとばかりですし、ホントにまったくそのとおりです。

わたしだって、もうパチンコすることはありません。

それでも近くをとおるたび、だれにも共感してもらえない懐かさは、これからもずっとあふれつづけるでしょう。

なにが言いたいのかわからない、だれの役にも立たない、元ギャンブル依存おじさんの想い出はなしを終わります。

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