休みの日に競馬中継を見かけて、純粋なスポーツ観戦でもたのしめるものだなあ、子育てをしながら今となっては不思議な感覚を味わっています。
どっぷり依存症だったあの頃を思い返すと、ふつうのひと と ギャンブル依存 とでは、馬券の買い方があきらかに違ってましたねえ。
ふつうのひと

ふつうに競馬をたのしんでいるひとは、
- 的中させよう

と考えながら予想します。

たとえば、1着が③番でアタマが固い場合、
- 残りが10頭いるとしたら、オッズをみながら5、6頭にながす
つまり、5、6通りかそれ以上の馬券を買うわけです。

どれがきてもソコソコ増えるように、アタってもハズレてもそれなりに楽しめように、ちょっとしたお遊び程度の額とするでしょう。

- そりゃそうだろう、ふつうそうするだろう
ギャンブルをしない ふつううのひと にとっても、当たり前かもしれません。
ギャンブル依存のひと

ギャンブル依存のひとは、
- 的中したとき悔しくないように

こだわって予想します。

なに言ってるのかわからないだろうから、もうちょっと説明すると、
- 的中したときに、もっとおかねを賭けとけばよかった

と後悔することをイヤがるのです。

たとえば、1着が③番でアタマが固い場合、
- 残り10頭いるとしても、オッズをみながら必死に相手をしぼる

2、3頭でもモノ足りず、1点にするとしたらどの馬か、と考えて馬券を買うわけです。

野球のバッターならいつでもフルスイング、当てにいくなんて流儀に反し、
- 全力でバットを振らないのなら打席に立つな

シビレない賭け方では意味がありません。

ほとんど的中しないブッとんだ買い目は、どうみてもギャンブル依存だとすぐにわかります。

そして、的中して悔しがるわけにはいかないからこそ、
- いつでも手元にあるおかね全部をフルスイング

シビレない賭け方は許されない、

“なにしてんだろう、オレ” と我に返りそうでも、打席に立てばいつでもサイフの中身全体でフルスイング、

ホントお決まりで、最終レースが終わるといつもすってんてんだったですねえ。

ギャンブルしないひとには伝わりにくい、ギャンブル依存あるあるをお送りしました。

もうフルスイングすることもないし、もうできないし、ゼッタイに戻りたくはない、

けれど、書きながらただただなつかしさがこみあげてきました。

ホントに、情けない、はずかしい、でもやっぱりなつかしい、ギャンブル依存競馬依存だったころの想い出はなしを終わります。
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