25年くらい前、地方の地元大学生でした。
実家近くの駅からJRに乗って、着いた駅からは自転車でウロウロ、まあパチンコばかりだったですかねえ。
大学近くのパチンコ屋通い
大学生の頃は、ちょっとやそっとの距離なら、どこでも自転車で行ってました。
といっても、駅周辺か、大学近くのパチンコ屋ばかりの生活で、
ほぼ毎日閉店近くまでパチンコ、そこから駅まで自転車移動、JRで帰宅という流れだったです。
ある冬の日
権利モノのバレリーナという台を、よく打ってた時期があって、
そのころ、ミスター・バレリーナ というあだ名で呼ばれてました。
なかなか入らない穴にパチンコ玉が入ると、ルーレットが回り、
20分の1くらいで大当たり、2回ワンセットの約4000発、換金して1万円くらい、そんな感じの台をひたすら打つ日々だったです。
身ぐるみ剥がされて
ある冬の日、バレリーナですってんてんになるまで打ってしまい、
もう、万札も千円札もありません。
当然帰るしかなく、駐輪場まで行ったのに、
どういうわけか、小銭をぜんぶ取りだして、また打ちはじめてしまったのでした。
といっても数百円、もちろん一瞬で消えてなくなり、
サイフには数十円しか残ってない状態で、やっぱり帰るしかなくなりました。
自転車を漕いでいると、とんでもなく冬の風が冷たく、
暖房で暑いくらいのパチ屋が日常なわたしは、あきれるくらいの薄着、ホントに情けないほど寒かったのを覚えています。
駅に着いて、ホームで列車を待っていると、
- “あったかいね”
カップルが近くで、缶コーヒーを手や顔に当て合って仲良くしてました。
知ってのとおり、わたしは缶コーヒーさえ買えず、
きったない格好のまま、カラダもココロもサイフもなにもかも、芯まで冷たかったです。
あの真冬の日、
ふつうに暮らしていたらゼッタイに味わえない、涙も出てこないほどの金欠病、
ギャンブル依存あるある、をお送りしました。
いま振り返っても、情けない、はずかしい、でもなんだか懐かしい、
なんの役にも立たない、ギャンブル依存だったころの想い出はなしを終わります。
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