馬券をのむ・のまれる

競馬・競艇・競輪では、仲間内でよく購入をたのみ、そしてたのまれてました。
その際、当たっても当たらなくても、換金せずに投票券をもって帰るようお願いするひとが一定数います。
ギャンブルをしないひとにはわからないでしょうが、馬券をのむ・のまれるトラブルを避けるためです。
競馬へ行くと、馬券をたのまれる

最近はカンタンにギャンブル用銀行口座がつくれ、どこでもインターネットですぐに馬券を買えるそうですが、

わたしがギャンブルどっぷりの25年くらい前、競馬場かウインズへ行かないかぎり、馬券は購入できませんでした。

もちろん、ギャンブル依存だってそれなりに用事はあるもので、行けないときはギャンブル仲間に馬券をたのみます。

ケータイがない時代、あらかじめ 買い目のメモ と おかね とを渡すルールが一般的で、

馬券をたのまれる側は、的中したら1割程度の謝礼をもらうことも多かったです。
馬券をのむ

馬券をたのまれるということは、当然ですが、自分も競馬をしています。

日常的におかねがないなか、必死でかき集めて馬券を購入している状況、

しかし、どういうわけか、ほとんど当たりません。

そして、友だちにたのまれたレース、もちろん自分も予想します。

ほとんどの場合、たのまれた馬券の買い目は、自分の予想とちがい、
- こりゃあ、当たっとらんわ
本気で思うのです。

必然的に、おかねがないギャンブル依存は心がザワめき、
- 友だちの馬券を買わなければいい

この行為を “のむ” と言います。

うまくいけば、当たらなかった分のおかねが手元に入ってくる妄想、

さらには、
- 友だちのおかねで自分の馬券を買えば、もっと増える

“イカれたギャンブル依存” は、ホントにこわいです。

どう考えても、友だちの馬券が当たった場合は払えるわけがなく、
- おかねがないのだから、のんではいけない
- おかねがないからこそ、のみたくなる

馬券 や ギャンブル依存 へは、決して近づかないようにしましょう。
のまないために連絡をとる

そこでもし、なにかの事情に巻き込まれて、たのまれたレースを買えなくなった場合、

ギャンブル依存仲間では、スタートする前までに、なにがなんでも依頼者と連絡をとらなければいけません。

それは、“のむ” つもりがなくても、“のんだ” ことになるからです。

ギャンブルやっているもの同士に言い訳は通用せず、的中すればとんでもな支払いが発生します。

ホントあるあるですが、なにげなく立ち寄ったパチンコ屋で絶好調となり、

ケータイ電話がない時代、公衆電話からあちこち連絡し、たのんだ相手をさがしたこともありました。

馬券をのむかのまないか、当時はありえないほど “一大事” だったです。

いわゆるギャンブル依存界隈だけの当たり前に振り回された、

あのころの狂気じみた生活、当てのない暮らし、いまではもう考えられませんね。

このあたりで、だれの役にも立たない、なんとも情けない、ひたすら恥ずかしい、ギャンブル依存時代の想い出はなしを終わります。

ゼッタイに戻りたくないけれど、ただただ懐かしさが込み上げる、なんだか人生は不思議です。
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